【鷲見玲奈】「彼女は僕に『一色玲奈』と名乗った」別名の“撮影会モデル”時代
2021/12/30
「あれきり、撮影会で一色さんと顔を合わせることがなく、消息も聞かなかったので、ずっと彼女のことは気になっていました。最後も、心配な形で終わってしまいましたし……」
カメラが趣味の会社員・モーリーさん(50代)は、自慢のソニーの一眼レフで、年に30人以上のモデルを撮影してきた。そんなモーリーさんにとって、「一色玲奈」と名乗った女性は、忘れられない被写体だったという。
「最初に一色さんを撮ったのは、2011年5月。お台場での撮影会でした。東日本大震災のチャリティで、開催期間は6日間と、大規模なものでした」
モーリーさんは、そのうち5日間に参加したが、ある日、モデルのなかに “一色” がいた。
「この撮影会は、あるミスコンの予選会を兼ねていて、参加したカメラマンの投票で、ファイナリストが決まるんです。僕は、一色さんに投票しました。彼女は一番人気でしたね」
同会には、有名写真家、映画監督が審査員に名を連ね、鳴り物入りのコンテストだった。多くのカメラマンが参加し、1対1での撮影時間はわずか。会話も、ままならなかった。
「それでも、明るい笑顔や目ヂカラは忘れられません。モデルを務めるのは不慣れなようでしたが、女優のようなたたずまいで、魅力的なポーズを自然に取ってくれました」
同年7月におこなわれるファイナリストのお披露目撮影会を、モーリーさんは心待ちにしていた。もちろん、“一色” と再会できるからだ。
「しかし、なぜか一色さんは登場しなかったんです。彼女は、たしかファイナリストに残っていたはずなんですが……」
2011年の夏、鷲見玲奈(30)の大学時代の知人は、アナウンサー試験に意欲を見せる鷲見の姿を鮮明に覚えている。
「『女優もしている』と話していましたが、むしろ、当時はアナウンサー志望だったと思います。『地方局でもいいから、アナウンサーになりたい』って話していたくらいですから」
キー局のアナウンサーの採用試験は早い。首都大学東京の3年生だった鷲見にとっても、就職活動に本腰を入れるタイミングだった。
女優として映画にも主演していた鷲見だが、その作品が出演者の不祥事でお蔵入りになることが決定したのが2011年4月。同じころ、鷲見は高校時代から所属していた芸能事務所をやめている。この時期は、鷲見が「女優」と「アナウンサー」という2つの夢のどちらに進むか、揺れていた時期といえる。
お披露目撮影会から8日後、モーリーさんは、ある撮影会に参加した。毎週のように撮影会の予定を入れていたモーリーさんにとって、軽い練習のつもりの小さな会だった。だが、会場である公園に現われたのは、“一色玲奈” だった。
「僕のことは、覚えてくれていたようでした。芸能界への登竜門なのに、なぜファイナリストを辞退したのか聞きたかったのですが、聞けずじまいでした。あの日は猛暑で、一色さんは熱中症で倒れてしまい、撮影会は途中で終了になったからです。彼女と会ったのは、これが最後でした」
今回初めて “一色” と、いま一番人気のフリーアナが同一人物だと知ったモーリーさん。今では、2度の撮影会の記憶と、数十枚の画像データが彼の宝物だ。
写真・モーリー
(週刊FLASH 2020年12月22日号)
https://news.yahoo.co.jp/articles/437a09b5b6ebfbceab85a8d268f337ce7f4b7935
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
のしあがったな
やせたのかな
マジで肉食系女子
可愛いやん
こういう話ばっかり出てくるなw
過去をほじるな
自己顕示欲がエゲツないなw
>>52
自己顕示欲無かったらテレビなんぞ出てへんわ、
テレビ出て、清楚なんざ存在しない。
首都大学東京出身てのにビックリ
あそこから女子アナになれるんだ
>>57
フジの久代萌美が同大の先輩
岐阜の高校時代は日高玲奈
(出典 jlab.work)
(出典 stat.ameba.jp)
?caw=1125
(出典 stat.ameba.jp)
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全ては売れてる証拠でしかない 最大の敵は無関心
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